TARO & CAPA





















 二人は戦場写真家です 右は高名なロバート・キャパ 皆さんもご存知と思います

 左は ゲルダ・タロー ゲルダをご存知の方は少ないのでは?

 ゲルダは1910年 ドイツ・シュツットガルド生まれ ユダヤ系ポーランド人
 パリに出た翌年の1933年に 1930年ハンガリー・ブタペストに生まれたユダヤ系アンドレ・フリードマンと出逢います

 二人は報道写真家を目指し 公私にわたるパートナーとしての活動をスタートします
 此の頃勃発したスペイン内戦の取材中に 二人は共同活動者の名前として アメリカ人写真家「ロバートキャパ」という架空の人物を創造し
 二人の写真を発表していきます 「CAPA」は シチリア出身のアメリカ人映画監督 フランク・キャプラ(Frank Russell Capra)にちなんだそうです

 当時 二人の愛機は ゲルダは正方形に写る二眼レフのローライフレックス アンドレは35mmライカを使用していました
 当初のロバートキャパとしての作品は二人の写真が混在していて どちらが撮影したかは撮られた画像の形(正方形か35mmサイズか)で見分けるしかありません

 ゲルダ・タローの本名は ゲルタ・ポホイル(Gerta Pohorylle) 岡本太郎とグレタ・ガルボにちなんだそうです
 フリードマンは その後もロバートキャパの名前を使い続けたため 彼女は 写真家としての名前としてゲルダ・タローとします

 フリードマンからのプロポーズを断ったゲルダは 戦場報道を続け 1937年7月25日取材中のスペイン内戦ブルネテの戦いで共和国軍の撤退を取材中に
 共和国軍の戦車に挟まれて翌26日に死亡します  一部には共産主義者の粛清説もありますが確かではありません
 フランス共産党による盛大な葬儀が執り行われ 5万人が参列したとか
 彼女の墓碑には アルベルト・ジャコメッティが墓碑を刻みますが 後にナチスにより削られてしまいます


 左は ゲルダの作品

 二眼レフ独特の下からあおるアングルは
 キャパが得意としたアングルを髣髴させます

 















 ゲルダとタロー












































 キャパの撮った著名人 左から マチス ヘミングウェイ クラークゲーブル



 パブロ・ピカソ




















 キャパの撮影した ゲルダ(左)









































 トロツキー 荒れた画像が臨場感を増幅させています




















 イングリッド・バークマン

 彼女とキャパの熱愛も有名だそうです


















 ノルマンディ作戦
 キャパが撮影した写真の殆どが スタッフの現像処理ミスで駄目になってしまい
 残された数枚のうちの一枚


















 ロバート・キャパの出世作となった「崩れ落ちる兵士」

 近年 沢木耕太郎氏が この写真の撮影者は キャパではなくゲルダであったと実証して話題になりました

 更には 戦場での死亡写真ではなく 戦場と離れた場所での訓練中で しかも単純に丘陵でコケタ処の写真であると
 推論しています

 ゲルダは 年下のキャパから写真撮影を学んだ部分も多いようですが 作品を比べると初期の作品では 彼女の作品の方に
 軍配を上げます







































 横浜美術館での作品展は とても衝撃的でした
 ロバート・キャパが 架空の存在であったことも知りませんでしたし ゲルダの存在も初めて知りました

 此処の処 美術展に足を運ぶ元気もなく自宅に籠りがちでしたが この写真展だけは見逃すに行かず無理をしましたが 写真を見るのには可也のパワーを要します
 完全に 写真に圧倒されたひと時でした