朝鮮独立宣言


                         
 2.8独立宣言をご存知の方は 少ないのではないでしょうか

 水道橋 日本大学経済学部キャンパスの裏手にある在日本韓国YMCA玄関脇に
 朝鮮独立宣言1919.2.8記念碑が建てられています

 明治43年(1910)8月22日 朝鮮は日本に併合されます
 
 明治以降の朝鮮との歴史を振り返ってみると 慶應3年(1867)大政奉還 王政復古により明治新政府が成立
 翌年には 隣国李氏朝鮮に対し開国を要求 朝鮮側は国書の受け取り自体を拒否し続けます

 征韓論が台頭 明治8年(1875)には江華島事件が勃発し 日韓修好条規が締結され朝鮮は開国されます

 更には 1894年甲午農民戦争(東学党の乱)から日清戦争 義和団の乱後の露西亜の南下政策に端を発する日露戦争と
 朝鮮半島を勢力下に置こうとする露西亜と日本の争いが朝鮮半島で展開されます

 明治43年(1910)韓国併合条約が締結され 朝鮮は日本帝国に併合されます

 条約の締結自体を無効とする主張から合法的であるとの主張まで 未だに両国の意見対立が残っていますが
 日本の帝国主義的展開の中で朝鮮満州の地が日本生存の生命線であると公然と主張され 第二次世界大戦へ進んでいくことになります




















 1919年 在日韓国留学生が中心となって 朝鮮独立宣言書を起草します
 2月8日 宣言文 決議文 民族大会召集請願書を 貴族院 衆議院議員 政府要人 各国駐日大使 内外言論機関あてに郵送
 14:00に 朝鮮留学生学友会総会開催に ほぼ全ての在日留学生がYMCAの講堂に集結していました
 開会宣言 開会祈祷の直後 朝鮮青年独立団結成の緊急動議が起こり 独立団代表11名の署名入り独立宣言文が読み上げられ
 満場一致で採択されます

 直ぐに警察官乱入 既に日本を脱出していた2名を除く9名他多くの参加者が逮捕されます

 この2.8独立宣言文は朝鮮の歴史から紐解き格調高い文書で併合の不法性と朝鮮独立の正当性を説いています
 この書面が韓国に持ち出され 3.1独立宣言書に大きな影響を与えます

 当時のYMCA会館は 現在の地からほど近い神田美土代町に在ったそうです

















 資料室に展示された 3.1独立宣言書






























 展示室には 関東大震災直後の朝鮮人虐殺関係の資料も
 多く展示されています
































 11名の代表の一人で2.8宣言文の起草者 李光洙
 当時は 早稲田大学生  逮捕を逃れ上海へ

 大韓民国臨時独立政府樹立にも関わりますが
 創氏改名に協力したり 親日派の顔も持ちます

 1950年朝鮮動乱時に北へ拉致され 58歳で死亡します











------------------------------------------------------