島津斉彬の業績を集めた尚古集成館
1851年斉彬が藩主に就任
同年 反射炉実験成功
1854年 昌平丸竣工
続々と成果が上がり始め
1852年 斉彬が一連の工場群を
集成館と命名しています
斉彬の死後 工場群は 全て一度閉鎖
されました
大正12年(1923)島津家により
再興されました
使用されている石の色が
微妙に異なり
とても華麗です
館内は撮影禁止
残念ながら ご紹介出来ません
磯庭園名物 両棒(ぢゃんぼ)餅
柔らかく絶品
二本の串にさされているので
二本差し 両棒 という名前に
なったのだそうです
島津別邸仙巌園 通称磯庭園
廃藩置県が決まった時に 島津久光が
憤りのため 徹夜で花火を打ち上げ
させたとの逸話が残ります
門を潜ると 直ぐ小さな船が見えます
島津斉彬が安政元年12月に完成させた
我が国初の本格的洋式帆船
翌年 幕府に献上され「昌平丸」と
命名されました
ジョン万次郎が指導して完成させた全長31m
総排水量370トンは小さく感じますが
当時としては 巨大なものだったと思います
ちなみに 咸臨丸は620トン 49m
この船は 帆船で未だ蒸気機関は積んでいません
日米和親条約締結後 日本船舶共通の船舶旗が
必要となり 島津斉彬の建白により日章旗が制定され
昌平丸が日章旗を掲げた最初の船といわれています
復元された150ポンド砲
口径28cm 70kgの砲弾を
射程3kmで打ち出します
その大砲を作るための反射炉跡
溶鉱炉で作った銑鉄をこの反射炉で
砲身に鋳出します
庭園の借景となる桜島
反対側から庭園を眺めると
庭園は 大変手入れも良く
見事なものです
島津斉興の悪戯書きと 地元のガイドが
説明していました
文字の大きさは全長11m
4千人が3ヶ月掛かって彫り上げたそうです
大河ドラマ 篤姫のロケにも使われた場所
風情のある登り路です
邸内で見かけた藤の花
庭園内の塀には ふんだんに櫻島の溶岩石が
使われています
大変モダンなイメージです
この石は海の中から
拾い上げてきたのでしょうか
島津家の家紋が至る所に
彫りこまれています
大灯篭の上で逆立ちする獅子
躍動感溢れる中々の秀作です