大津島回天記念館 訪問


 山口県周南市(旧徳山市)徳山港から南西沖10kmに 大津島という小さな島があります
 
 此処に 昭和12年 呉海軍工廠の魚雷発射試験施設が開設され
 日本海軍が世界に誇る九三式酸素魚雷が試射実験が繰り返されていた

 この地に昭和19年9月1日に九三式酸素魚雷を推進装置として開発された
 「回天」の訓練基地隊が誕生しました













 徳山駅から見える距離に徳山港があり
 此処から大津島へのフェリーが出ています













 1970年 大学3年の時 友人の母親に案内されてこの島へ海水浴に来ました
 この時乗ったのは10人位しか乗れない小さな船だった記憶があります



















 左側の小さな島が 大津島です














 港で出会った野良猫 悠然とした態度が印象的でした




















 息を弾ませながら登る坂道の先に
 回天記念館があります
































 回天記念館の開設は 1968年
 私が訪れたのは 開館からまだ時間の経っていない2年後でした






 未だ真新しい 回天の碑



















 終戦直後に建てられた回天の碑 
 現在この碑は 新しい回天の碑の下に埋められているそうです



















 展示館横に陳列された回天一型模型
 全長14.5m 最大出力30ノット
 頭部炸薬量 1.55トン











 1970年に訪問した際に見た慶応義塾の制服

 回天特攻の戦没者は 145柱
 学徒動員で召集され亡くなられた特攻兵のうち
 慶大生が一番多く5名居られたそうです
 
 初回の訪問時は私自身が慶大3年生
 一緒に陳列されていた遺書とこの学生服を見て
 大きな衝撃を受けました

 41年ぶりの再会を果たしました





























 宿舎から訓練基地へのトンネル 当時のまま残っています
 調整された「回天」はトロッコに載せられこのトンネルを運ばれます
 搭乗員もこのトンネルを歩いて行きました






































 元々は魚雷の発射台として建設された基地を
 回天の訓練用に使用したそうです


















 記念館 松本館長

 色々教えていただきました
































 回天碑の脇に長嶋茂雄さんの書かれた碑がありました
 平成8年3月1日 英霊鎮魂
 巨人軍監督と署名されています












 此方は森繁久弥さんの詩

 浮きつ島鼓海を訪ふ












 昭和17年6月ミッドウェーの海戦で大敗北を喫して以降
 日本海軍は 敗北を重ねていきます

 昭和18年夏 戦局打開には体当たりによる特攻作戦しかないと
 特殊潜航艇(甲標的)搭乗員 黒木博司大尉 仁科関夫中尉らが提唱し
 昭和19年8月1日正式に兵器として採用されています

 搭乗員の募集はあくまで本人の希望によるものとしてありますが
 「新兵器が開発された その内容は極秘である 希望者は6か月の訓練ののち
  搭乗し戦地に赴く」程度の説明で募られています





 港の近くに 平成19年に建てられた 新たな慰霊碑