高麗神社



 JR八高線高麗川駅から徒歩40分の距離に 高麗(こま)神社が在ります

 霊亀2年(716)この地に高麗王若光以下1799人の高麗人が入植 
 曼珠沙華で有名な巾着田も彼らの開拓に拠ります

 高句麗は4度の唐の攻撃を受け668年に既に滅亡しています

 若光を偲び建てられたのが高麗神社です

 代々若光の子孫が宮司を務めており 現在の宮司は60代目だそうです










 宮司 高麗澄雄 謹書

  若光の子孫は 高麗姓を名乗られて居られるようです

















 将軍標 天下大将軍 地下女将軍の文字が読めます

 一の鳥居の手前にあります
 
 チャンスンと云い 村の入り口の置かれる魔除けだそうです









 二の鳥居の手前にある芳名板

 参拝されたお歴々の名前が並びます

 浜口雄幸 若槻禮次郎 斉藤実 小磯国昭 幣原喜重郎 鳩山一郎らが
 参拝後相次いで総理大臣となったことから「出世明神」との異名も
 あるとか







 唐津焼御茶?釜十三代 中里太郎右衛門

 薩摩焼宗家十五代   沈壽官(当代)

 何れも秀吉に連れて来られた陶工の末裔
 肩書表示が面白いです














 粛親王之子 川島 芳子
 粛王府総理 川島 浪速

 粛親王とは 清朝皇族を指す言葉のようです










 内務大臣 若槻 禮次郎
 朝鮮総督 斉藤 實

 国民新聞社長 徳富蘇峰






















 御神門に掲げられた扁額には 後に興った高麗と区別するために高句麗神社と
 書かれています
 
 明治33年朝鮮王国貴族 超重応の書

 この神社は 高句麗神社と称したことはないと説明されています


 お定まりの狛犬




















 高麗神社の程近く 聖天院 若光王の墓所が有ります

 




 







 此処にもチャンスンが建ちます


















 高句麗若光王陵

   国務総理 金鐘泌書





































 若光王像




















 仁王像 コンクリート製です



















 平成12年に建ったばかりの新本堂













 紀元前2333年に即位したとされる古朝鮮初代王



















 第二次世界大戦戦没 在日漢民族無縁仏慰霊碑 2000年1月建立

 日本の朝鮮支配36年を象徴して 36段の石塔 16mは日本最大


























































































 左から 鄭夢周 王仁博士 太宗武烈王 広開土王 申師任堂 慰霊碑の周囲を囲みます


 3.1独立運動の端緒となった ソウル塔洞公園八角亭の縮小版

 八角堂で独立宣言書が読み上げられ 独立運動に火が付きました