松山散歩2
明治37-38年 日露戦争時のロシア人捕虜収容所で亡くなった戦士98名の墓地を兵頭さんに案内頂きました
この墓地は 地元の方達が長くお守りし供花や掃除を続けてきたそうです
墓は 全てロシアに向けて建てられています
亡くなった方は ロシア正教 キリスト教 ユダヤ教と 宗教も異なるようで その区別が記されています
松山の収容所は 待遇が良くその評判はロシア側にも伝わっていたようです
ロシア兵が降伏して出て来るとき「マツヤマ マツヤマ」と叫んで 松山の収容所に入れてくれるよう懇請したとのエピソードを
兵頭さんからお聞きしました
此方は 8月9日の松山空襲の際 撃墜された米国爆撃機の戦死者を祀ったものです
ロシア側の一番上級の軍人は 戦艦ペレスヴェート艦長 ワシリー・ボイスマン大佐
死後 この地に祀られましたが後に遺族から遺骨の返還要求が有り 現在は墓のみで遺骨はないとのこと
胸像は 1994年建造