西郷さんの彫像は 沢山有るようですが
 先ずは 上野の山の西郷さん

 高村光雲作
 西郷の妻からは 似ていないと云われたとの
 エピソードも有りますが 大勢の前に正装でもなく
 現われる人ではなかったという意味だったと
 最近の評が有ります

 明治10年の西南戦争で逆賊となった西郷さんは
 明治22年の勅令により正三位を贈られ
 この銅像は明治31年に除幕されました

 当時の偉人は正装で建つものが多く
 この頃には 西郷の銅像を建てること自体に反対の
 人も多かったようで 西郷に正装させることへの反対も 
 多かったことから 狩に行く姿にしたとのエピソードも
 有ります




 此方は鹿児島市に建つ陸軍大将正装の西郷像





















 西郷像にも 東郷平八郎の書が














 国道を挟んで 鹿児島の西郷像の向かいに
 西郷南洲翁終焉百年の碑が建ちます




















 西郷洞窟の前に建つ西郷像





















 南洲神社に座す西郷像





















 西郷洞窟前の囲碁を打つ西郷像


 この旅の初めに 鹿児島空港レンタカーの駐車場前に
 巨大な西郷像を見ました
 最近の彫像のようです
















 鶴丸城の石垣














 私学校跡の碑が建ちます





























 此方も西郷南洲翁設立と有ります


















 鹿児島の旅を続けます


 明治10年9月24日 政府軍総攻撃開始
 300名の西郷軍は死を決して
 5日間立て籠もった洞窟を後にして
 城山の坂道を駆け下ります

 









 洞窟は2つ並んでいます
 ずっと左側の浅い方が 
 5日間 西郷が立て籠もった洞窟と
 思っていましたが 今回右側の
 少し深いほうだと知りました










 中はそれ程広くなく 
 入り口からかなり下がっています
 9月とはいえ湿気が強かったのでは
 ないでしょうか

 9月には城山入りし4万人の政府軍に
 遠巻きにされ 食事もままならなかった
 のではないでしょうか














 西郷翁洞中記念碑

 不思議な名前の付け方のように感じます



















 西郷洞窟から500m程坂道を
 下ると 西郷隆盛終焉の地に
 辿り付きます

 少し路がわかりにくく
 車で3周ほど行ったり来たりで
 諦めようかと思ったほどです


 階段の途中にあるゴミ袋を
 清掃の方の忘れ物...




 墓ではないので
 静かで何も有りません













 南洲翁終焉の地

 西郷隆盛とは呼ばず 何れの施設も南洲翁と
 記されています

 満49歳での終焉は 余りにも早かったと感じます
 南洲翁との呼び方は 周囲の西郷への愛情の現われと
 感じます

 倒幕の過程においては かなり謀略に手を染めた
 時期も有ったようですが 一度でも彼に接した人は
 彼の魅力に取り込まれてしまったとのエピソードが
 全てを語っているように感じます










 鹿児島の旅二日目の終わりは
 南洲墓地 西郷隆盛以下西南戦争で
 倒れた方達の墓地です

 隣接した顕彰館に辿り付いたのは
 閉館30分前のギリギリでした









 南洲神社です
 南洲墓地はこの神社の隣接墓地として
 建てられているようですが
 むしろ神社が附属しているように
 感じます










 掲げられた扁額は 多分西郷隆盛自筆の
 文字を並べたのではと思います
 独特の丸みのある特徴的な書体です












 西郷隆盛の墓を中心に西南戦争に
 倒れた若者の墓が取り囲みます

 西郷を支援した大山綱良たちの墓は
 一段下に置かれます










 正面から西郷墓碑を眺めます

 この日も新しい花が献じられていました












 墓所遠景














 西郷隆盛墓碑

 



















 岩崎谷のおくつきは
 煙の香にて絶間なく
 上野の山の銅像は
 百千の人に仰かるる












 寡黙の薩摩隼人 篠原国幹(くにもと)





















 晋ドン 別府晋介は 西郷の介錯をした方





















 桐野利秋 中村半次郎 通称人斬り半次郎
 墓碑は 桐埜とあります




















 村田新八

 シルクハットにフロックコート
 アコーディオンを手放さなかったという粋人


















 大山 綱良

 寺田屋事件や幕末史に登場することの多い人ですが
 歴史的な評価はかなりブレが有るように思います

 島津久光に師事し 初代鹿児島県令として西南戦争にも
 肩入れをしますが 最後は長崎で斬首されています















 ぬれぎぬを
 干そうともせず
 子供らが
 なすがまにまに
 果てし君かな

   勝海舟






西郷 南洲