薩摩 日置の路

平成22年4月28日


 恒例の春の連休の旅

 今年は 鹿児島を選びました
 目的地は 美山(旧苗代川)と知覧
 鹿児島での足にレンタカーを使いました
 自宅の車と同じHONDAのFITを
 選びました

 とても良く出来た車でした
 我家の車も此れで良かったかも










 鹿児島空港から高速を使って1時間
 スーパーが1軒有るだけの静かな村です


















 旅の最初の目的地は 此処 沈壽官窯

 「故郷忘じがたく候」で 典型的な薩摩隼人と
 讃えられた十四代沈壽官により一躍有名になった
 苗代川は 朝鮮渡来の陶工の村です 

 丁度 春の叙勲で旭日小綬章の受賞が内示され
 私の訪問した日に取材があったようです
 私が邸内に入っていくと「取材の方ですか?」と
 声を掛けられました

 今回の叙勲は陶工としてのものではなく
 永年に亘る日韓友好に大きな功績を認められたものだ
 そうです

 邸内で十五代とすれ違いました












 深い緑に囲まれ閑静な佇まいの中に
 窯は在ります

 物音一つ聞こえません

















 沈家初代 当吉の作品 火計り茶碗

 土も釉薬も陶工も全て朝鮮から渡って
 来たものを用い 火だけが日本のものを
 使ったためにこの名前があると説明されて
 います
 大変素朴な形に心を惹かれます
 説明を信じるならば 陶業の道具を
 運んできたということですから
 秀吉 島津に拉致されたというのは
 俗説ということになります
 








 薩摩島津家にのみ許された白薩摩は
 朝鮮渡来の白さもさることながら
 彩色の繊細さ華やかさに眼を奪われます


















 透かし彫りの技法を駆使した香炉
 十二代沈壽官の考案によると
 説明されています


















 邸内の登り窯です

 今も使われているようです


















 ガラス越しにではありますが
 作陶風景を眺められます

 使っている赤みがかった土は
 黒薩摩用の土です















 此方は白薩摩の絵付け風景
 実に細い筆を使っての作業
 集中する姿には ガラス越しでも
 シャッターを切るのを躊躇うほどでした
 























 背の高さよりも遥かに高い大きな甕の上に
 獅子の飾りが有りました


























 8代 当円作 文殊菩薩像

 白薩摩の名作 

 陶器とは思えぬ柔らかな線が見事です























 邸内に置かれた韓国風の石造

 独特の風貌ですが 何か南方の雰囲気も感じます

 韓国通の友人によると
 この像は「トルハルバン」
 直訳すると 石のお爺さん
 済州島固有の守り神

 鼻に触ると男の子が出来る
 耳に障ると女の子が出来るとかで
 新婚さんに人気とか(此れはTV情報)

 韓国人には無い風貌です













 叩き割った陶片を敷き詰めた庭が
 明るい彩りで映えて見えます








































 玄関前にて 韓国式ということで 此れは虎でしょうか
 阿吽の形ではなく 二頭とも口を開いていました


 司馬遼太郎の文学碑

 十四代の本名は 大迫恵吉 

 名工否定説や司馬さんの小説は
 事実と異なるとの批判も最近多く
 聞こえます

 昔は 私もノンフィクションのつもりで
 司馬さんの小説を読んでいました










 竜馬がゆくの 竜馬像は全くの司馬さんの
 創り上げたものだそうです

 伝記としてよりも むしろ小説として
 愉しむ精神的余裕を持ちたいと
 今は感じています

 邸内で十四代のサイン入りの
 文庫本を分けてもらいました











 湯飲みを手に入れました

 薩摩黒の良さは
 黒い中に明るい光を感じられる
 日常雑器なのだそうです















 壽官の刻印が
 中々洒落ています


















 苗代川での目的地は三つ
 二つ目は 玉山宮

 朝鮮から渡来の陶工達は 数年に亘る漂流の後
 苗代川に定着します

 故国の地にそっくりのこの地に
 朝鮮王国の始祖檀君を祭り
 海の先の故国に想いを馳せ
 拝礼を重ねたと云われます



























 宮の前の広場は 一面の茶畑になっていました
 戊辰戦役の錬兵場に使われたと 何処かの記事で読みましたが
 定かでは有りません
 なだらかなこの丘が故郷韓国全羅北道南原(ナムウォン)の情景に
 似ていたのでしょうか


 茶畑を茶積み機がゆっくりと巡ります

 長閑なり

















 宮への入り口には 小さな石の鳥居が

 左に見える石碑は 戊辰役従軍記念碑
 
















 宮への道は鬱蒼とした樹木に覆われています




























 やがて 木立の間に小さな宮が
 見えて来ます


























 至る所に島津十文字の家紋が
 見受けられます

 大きな庇護を受けていたのであろうと
 思われます























 社は少し朽ち始めています

 第二次世界大戦開戦の外相
 東郷茂徳の母親は この社に
 日参されたそうですが
 今では余り参拝される方も
 少ないのかも知れません

































 玉山宮の参道に
 調所笑左衛門 村田堂元の招墓

 苗代川の物産興隆を支援した二人への
 感謝を込めて地元の方達が建てたもの
 とのことです














 苗代川の旅 三つ目の目的地は
 東郷茂徳記念館


















 大変達筆な看板が掲げられています



























 太平洋戦争開戦時の外務大臣 東郷茂徳は
 苗代川漂着の陶工 朴平意等43名の末裔
 お父上は銘作を残された陶工

 















 記念館の敷地内には
 東郷家の登り窯の跡が残ります


















 入り口付近の東郷邸基礎跡

 島津統治時代士分待遇であった苗代川の
 陶工達は明治政府によって平民に落とされ
 東郷茂徳の父・朴寿勝は東郷姓を名乗る
 ようになったとか














 七高(現鹿児島大学)から東京帝国大学文学部を経て
 大正元年に外務省に入省
 私の祖父は大正12・3年にサンフランシスコ総領事を
 務めていますので 何処かで交流があった可能性が
 有ったのではと推測を巡らせています



















































 彫像は平成10年4月17日 
 元外相東郷茂徳先生顕彰会(会長 十四代沈壽官)に
 より建立されました

























 外相の正装

 多くの勲章に飾られた大時代的礼装に
 むしろ大変空しくさえ感じられるのは
 私だけでしょうか

 一方 ドイツ文学を志された氏の蔵書である
 ドイツ語の原書に英語で細かく書き込みが
 されているのがとても印象的ではありました


















 練習書きでしょうか 大変流麗な筆致に
 眼を奪われます

 毎日新聞の記事内容はともかくとして
 東郷平八郎元帥の写真の上を筆が踊ります

 悪用しようと思えば 右翼に命を狙われかねない
 大胆な行動とも受け止められます



















 満州の帝都に春の光

 果たして 東郷外相は満州国設立を
 どう思っておられたのでしょうか























 記念館の駐車場の片隅に
 苗代川黒陶器産業組合の跡碑があります

 黒陶器は 島津家御用達の白薩摩に対する
 家庭用品に用いられる薩摩焼の総称です








































 記念館の入り口に 司馬さんの「故郷忘じがたく候」の一文と紹介文が掲げられています

 「丘にのぼればわれわれがやってきた東シナ海がみえる
  その海の水路はるかかなたに朝鮮の山河が横たわって
  いる われわれは天運なく朝鮮の先祖の墓を捨ててこの
  国に連れられてきたが しかしあの丘に立ち 祭壇を設け
  先祖の祀りをすれば遥かに朝鮮の山河が感応し かの国
  に眠る祖先の霊をなぐさめることができるであろう」

    当時、朝鮮技術者たちの多くは、鹿児島城下に居住
    させられていたが、苗代川の陶工たちは藩の申し
    入れを拒み、決してこの地を動こうとはしなかった。
    こうして300年の後、その中の陶工の一人を祖先に、
    大日本帝国の最後を担った外務大臣、東郷茂徳が
    誕生する