本因坊秀策生誕の地

 本因坊秀策文政12年(1829)生まれ 文久2年(1862年)没 備後国因島(広島県尾道市因島外浦町)出身
 幼名 桑原虎次郎 本因坊道策(前聖)と並び棋聖・碁聖と称されます

 御城碁19戦19勝 秀策流 耳赤の一局等 江戸期に於ける第一級の棋士
 因島の生誕の地を訪問しました






















 岡山県尾道と愛媛県今治を結ぶ しまなみ海道を南下し 因島で高速道を降ります 
 因島は村上水軍の拠点でもあった地 静かな島です

 秀策生誕の地は 秀策の実家桑原家の跡に建つ因島石切神社の境内に在ります





























 大元尊神 小命成就 と読むのでしょうか 
 大元尊神とは 国之常立神(くにのとこたちのかみ)は 古事記・日本書紀に記された天地開闢の最初に現れた神
 吉田神道では天之御中主神と同一神として宇宙根源の神としています

 節分に恵方巻きを食べながら 「大元尊神 小命成就」と唱えて 厄除けをするとの説明がNETに有りました
































 本因坊秀策碑 揮毫は 最後の世襲本因坊 第二十一世本因坊秀哉

 秀策の父 輪三は安田家からの婿養子 
 秀策は第十二世本因坊丈和に入門し 安田栄斎を名乗ります


























 燈籠に狛犬が飾られています




























 本因坊秀策囲碁記念館























 石切神社に隣接する 本因坊秀策囲碁記念館 館名の揮毫は 第二十四世本因坊石田秀芳(芳雄)



 母カメから囲碁の手解きを受けた碁盤と碁石

 生家桑原家が裕福な豪農であったのでしょう
 農家の持つ碁盤としては 相当に豪華なものです

 秀策は終生この碁盤を大切にしたとのことです


































 右は 昭和47年に老朽化のため取り壊された生家 
 左は 平成8年(2008)記念館とともに再建された生家























 生家再建記念の碁盤 呉清源氏が記念対局をされたのでしょうか 揮毫された碁盤が置かれています
























 秀策が揮毫した碁盤

 争戦決勝 国手神機


















 秀策の書 

 戦い止みて 両奩(りょうれん)に黒白を収む
 一枰(いちへい)いずれの處にか虧成(きせい)有らん

    両奩 碁笥(ごけ)
    一枰 碁盤
    虧成 欠け













 耳赤の一手

 天元の上に打った黒の一手

 準名人位(八段)十一世井上幻庵因碩との対局 長考の末の黒127手目

 白優勢に進んでいた碁をこの一手で形勢を逆転させます

 当時因碩は八段 秀策は四段なので 本来は二子局であるが 一局打ちかけて異例の定先(置石なし)での対局となります
 後に 隕石は あのときの秀策は七段以上の実力であったと評しています











 九頭龍の宇宙(そら) 高橋りく作



















  本因坊秀策墓所























 記念館(写真左)の正面(写真右)に 秀策の墓所 地蔵院が有ります























 素朴と云うか 少し扁平で胴長な仁王像
























































 本因坊秀策の墓所です






















 地蔵院からの展望



 此の地も お遍路の道なのでしょうか