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 久し振りに銀座「池澤」へ
 
 店主から「ハマグリが有りますけど召し上がりますか」とお勧め
 実は 以前からハマグリが食べたいと注文していたのですが
 余程良いものでないと自信を持って出せないと断られていました
 きっと 店主なりに工夫を続け 納得のいくものが出せるようになったのでしょうね

 ふくよかな見事な一品に仕上がっていました
 池澤名物がまた一つ増えました





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 大阪天王寺駅から四天王寺に向かって北へ歩くと
 茶臼山の動物園の南側に堀越神社が有ります

 偶然通り掛かった神社ですが
 地元では「堀越さん」と親しまれているようです










 鳥居の脇の石碑文
 まるで読めません



















 昭和45年に再建された狛犬




















 寛政十二年12月に寄進された狛犬は
 体長104cmという巨体でしたが大阪大空襲で崩壊

 此方は先代狛犬を模した土鈴です
 随分丸々とした可愛い姿です







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 昨年末にNHK教育TVで放映された
 仏像拝観手引のテキストです

 講師は 東京藝術大学大学院教授(文化財保存学) 薮内佐斗司
 薮内さんは 興福寺阿修羅像の修復を手掛けたことで有名です
 半分以上欠損していた阿修羅の手は 不明な点も多く
 薮内さんの想像による部分も多いとか
 奈良遷都千三百年のマスコット せんとくんも彼の作品
 私よりも五歳ほどお若いらしい

 アシスタントは 篠原ともえ(かなりのミスキャスト)
 
 仏教彫刻を知るうえで とても勉強になりました








 東京藝術大学では 文化財保護のため
 仏像彫刻技術の伝承に力を注いでいます

 このため 3D立体計測等の最新技術を駆使して
 多くの仏像の摸刻に取り組んでいます

 この作品は 奈良柳生円成寺 大日如来坐像 
 運慶25歳頃の傑作

 私の大好きな仏像の一つ

 この摸刻は 東京藝術大学大学院 藤曲隆哉さんの修士卒業作品
 藝大の卒業展で 実物とご本人にお会いしたことが有ります

 当時は 未だ彫り立てでしたが いずれ漆を塗ってお寺に奉納すると
 話されていました





 室生寺 釈迦如来坐像 
 翻波式衣紋が有名です

 この摸刻は 東京藝術大学大学院 技術職員 白尾 可奈子さんの作品
 2011年完成ですから まだ完成したばかりです
















 京都即成院本堂 阿弥陀二十五菩薩来迎像の一つ
 観音菩薩跪坐像

 東京芸術大学大学院 技術職員 保坂 紗智子さんの作品

 即成院は 御寺泉湧寺の塔頭のようですが 
 この仏様の実物は 未だお参りしたことが有りません

 私が訪ねている大和坐りの仏様のコレクションに
 加えねばなりません









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 神田駿河台ニコライ堂です 正式名は日本ハリスト正教会復活大聖堂

 ロシア正教は 文久三年(1861)ロシア人ニコライによって函館に伝えられました
 坂本龍馬の従兄弟 沢辺琢磨は ニコライを夷敵として切り捨てるべく函館に乗り込みますが
 ニコライの話を聴くうちに感銘を受け 日本人として初めてニコライから洗礼を受ける最初の三人の一人となります
 勝海舟と龍馬のエピソードそっくりの話です

 神田駿河台のニコライ堂の建設は明治24年(1891)です


 中には入れませんでしたが
 ステンドグラスは かなり素晴らしいもののようです
































 イコンです


















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 大阪天王寺に 浄土宗一心寺というお寺が在ります













 通称 お骨佛の寺と呼ばれます













 正式の名前は 坂松山高岳院一心寺



















 仁王像は 途轍もなくモダン?



















 仁王門の門扉



















 











 文治元年(1185) 法然が四天王寺西門の坂の畔に四間四面の草庵 源空(法然の名)庵を結びました
 四天王寺西側は 浄土宗の日想観(夕陽を観て悟りを開く)の名所 大阪湾に沈む夕陽は極楽浄土の瑠璃の地の如しと称され
 後白河法皇も来庵されたそうです

 大阪夏の陣 冬の陣の折の徳川家康の本陣が この寺に置かれたこともあるそうですが
 この寺が高名なのは 宗旨を問わず逝去された方々の納骨を受け入れ 10年毎に阿弥陀仏を造っていること
 骨佛を造り始めたのは 明治になってからだそうですが 戦前のものは大阪空襲で焼失しています














 墓所を持てない方や お墓を守る人が居なくなり無縁仏になる方が増えているのでしょうか
 お寺は 納骨の順番を待つ人が途絶えず 大変な盛況振りでした

 実は 昨年叔父が亡くなり 何れ家が絶えてしまうため 母方の祖父母が納骨され 骨仏になっていることが最近判りました
 南無阿弥陀仏





















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 明けましておめでとうございます

 私の初詣は 毎年1月2日に赤坂日枝神社へ

 平成24年 社会人40年目の節目の年を迎えます
 11月には年金も満額取得の資格が得られます
 社会人のGOALも近付いています
 
 色々な意味で節目の年となりそうです











 日枝神社の絵馬を毎年集めていますが 数年前から大きさが小さくなりました
 厚さも一定ではなく...


















 勤務先から一番近い 芝大神宮のお札
 今年から 木ではなく紙の箱です
 振るとコトコト音がしますので何か入ってます

















 大神宮でも絵馬を求めました














 今年頂戴した年賀状から

 私の似顔絵を描いてくれた本間画伯

















 40年舞台を見続けている 金春流シテ方 長谷猪一郎師匠

 演目は 田村(白式)

















 二ノ倉画伯 水彩
 鎌倉でしょうか













 中新画伯

 暫く休止中だった油彩を再開されたとのこと
 個展が待たれます














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 神戸駅前 湊川神社です
 延元元年(1336) 数十万の足利軍に 楠正成以下 僅か700騎で挑み 
 6時間の激戦の末 一族郎党73名がこの地で自刃されました






















 表門の手前右手に 楠公墓所の入り口が有ります















 昭和30年 平櫛田中作 水戸光圀公像



















 楠公墓所















 墓名は 水戸光圀公自署

 裏の碑文は 朱舜水の撰文


















 本殿
 右は9:00からの朝礼


































 陶磁製



















 胸の隆起 尻尾の造りが見事です



















 以下2対は本殿右 菊水天満神社内
 少し小振りの狛犬


















 胴の細さが目立ちます





































 楠公自刃の地
















 湊川神社門前 菊水総本店
 瓦煎餅の銘店















 瓦煎餅と豆どろぼう
 瓦煎餅の主成分は小麦粉 香りの良さと カリッとしていますが 意外と柔らかい触感です


 瓦煎餅製造機 今も現役で焼き立てを提供するために 土日に実演販売しているそうです



















 焼きたての煎餅に刻印する鏝(こて)が展示されています

















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 世田谷区環八東名入口の近くに立つレンガ建ての豪邸

 多摩川沿いの急坂の途中に建ちます











 無名塾仲代劇堂
 創立者は 仲代達矢の奥さん 故宮崎恭子
 3年間 学費無料

 卒業生で一番有名なのが 役所広司
 退塾者では 真木よう子とか

 1975年創立
 無名の者が集まるからではなく
 開講後も暫く名も無い塾であったからだそうです











 若きもの
 名もなきもの
 ただ ひたすら
 駈けのぼる

 ここに 青春ありき
 人よんで
 無名坂


























 煉瓦はとてもカラフルです

















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 熱海来宮神社です

 若き日 熱海の保養所紫雲荘に合宿研修に毎月のように通った頃には
 前を素通りしていました










 樹齢二千年 天然記念物 大楠 周囲24m 日本で第二位の巨木とか

 最近の言葉では パワースポットだそうです

















 入り口鳥居近くの狛犬

 此れは大分古いもののようです

















 本殿階段脇の狛犬

 此方は最近の作品か















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 お茶の水駅の直ぐ脇にある小さな坂 昌平坂です

 上野忍岡にあった林羅山の私塾が 元禄三年(1690)徳川綱吉の命によりこの地に移転され 
 寛政九年(1797)昌平坂学問所となりました
 坂の名前の由来は 孔子の生誕地昌平郷に拠るそうです
 














 この地に建てられた孔子廟が湯島聖堂 学問所が昌平黌です
 
 驚いたことに 昌平黌は 学校法人として今も存立しています

















 杏壇門から大成殿を臨む















 大成殿

 関東大震災で被災し 現在の建物は昭和10年に再建された
 鉄筋コンクリート造りです












 杏壇とは 山東省曲阜にある孔子の教授堂の遺址に拠ります

 徳川家達書












 大成とは 孔子廟正殿の名称

 伏見宮博恭(ひろやす)王 元帥 太平洋戦争開戦時の海軍軍令部総長

















 鬼龍子 想像上の霊獣
 孔子のような聖人の徳に感じて現れるのだそうな
 
 猫型蛇腹(豹型龍腹)と説明書きにはありますが....
































 寛政十一年作の震災で焼け落ちる前のもの




















 此方は一角獣?













 シビでしょうか


















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 この写真を見て 何処のビルかわかる人はそう多くはないと思います

 講道館本館 文京区後楽園の直ぐ隣にあります
 後でわかりましたが 左側のビルは 講道館国際柔道センターだそうです




































 講道館の正面に立つのは ご存じ柔道の父 嘉納治五郎

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 井の頭公園 弁財天です














 この形の狛犬は 珍しい














 弁財天の参道前にあった不思議な像
 蛇男?



















 此方は 梅若塚のある隅田川木母寺で見かけた蛇弁財天
 どうやら 同じもののようですね

















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 徳山の児玉神社です
 日露戦争の名参謀 児玉源太郎を祭ります


































 児玉神社の狛犬は なかなかユニークです

 こんなに愛嬌のある狛犬は 初めてです


















 台湾 李登輝総統の碑

 台湾総督としての児玉は 後藤新平との名コンビで
 見事な統治を展開しています






































 児玉源太郎レプリカ像

 新海竹太郎作の原型は 台湾博物館に展示されており
 これをもとに 台湾の彫刻家林昭慶氏がこのレプリカを
 作成したそうです
















 徳山七士の碑

 児玉源太郎の叔父 次郎彦は 徳山七士の一人

 徳山七士とは 幕末 徳山藩で活躍した尊王攘夷派
 何れも藩の政争で殺されています

 明治になって 明治天皇から名誉回復と従四位を
 贈られた記念の碑が 神社の脇に建っています











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 周南市美術博物館(旧徳山美術博物館)です














 郷里の写真家 林忠彦の記念室があります

 後輩秋山正太郎に車椅子を押されて







































 銀座ルパンで撮影した 織田作之助 太宰治 坂口安吾の
 ビンテージプリントが ルパンを再現したコーナーに掲げられています












 こんな写真もありました
 屋根で丸くなる猫











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 1914年 韓国在住の浅川伯教がロダンの彫刻を見るため
 千葉県我孫子に柳宗悦を訪ねたときに手土産として持参した
 「青花草花文面取壺」 高さ12.8p 18世紀後半に朝鮮で焼かれた小さな壺
 この壺の素晴らしさに魅了された柳宗悦は朝鮮陶器に傾倒するようになり
 日本の民藝運動が展開されるようになったとされています
 その意味で時代のエポックとなった壺です
 最近 浅川伯教・匠兄弟 安宅英一に関係する文献や
 展覧会で朝鮮陶磁器を見る機会が増えこの壺に深い興味を覚えるようになりました
 今年は柳宗悦没後50年 日本民藝館開館75周年の節目の年だそうです
 
 少し調べてみたのですが この壺は 元々ひょうたん型の上部があったとの
 コメントが図録にありました
 柳もこの壺を受け取ったときに 原型を知らなかったといいます








 原型は このような形だったのではないでしょうか
 
 染付蘭草文瓢形瓶 韓国国立中央博物館


















 益子で見つけた湯呑
 中々趣があります


















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 東京ドーム21番ゲート脇を降りたところに
 第二次世界大戦で戦死したプロ野球選手の碑が
 建って居ます

 微かな記憶ですが 以前ドームの脇のもう少し
 北側に選手の群像のような像と共に建っていた
 ような記憶が有ります

 碑には 澤村投手 吉原捕手の名前も読めます 











































 「日本近代初等教育発祥の地」碑

 明治3年 東京に6つの小学校が設立されました
 日比谷通り御成門交差点付近に「仮小学 第一校」が
 6月12日 設立された場所です
 学制が発布されたのは 明治5年 全国に小学校が
 開設されていきます
 従って 此処が 初等教育発祥の地ということになります














 長野県下では 一番早く設立された小学校
 旧開智学校です

 明治6年
 第二学区筑摩県管下 第一中学区第一番小学
 開智学校 が正式名称

 元は松本藩主戸田家菩提寺 全久院跡地に開校
 女鳥羽川南岸に移動後 現在の信州大学附属病院
 跡地の現在の地に移設されました


















 建築費 1万1千円の7割は旧松本市民からの寄付だったそうです























 成城学園の創立者 沢柳 政太郎 は この開智学校の卒業生だそうです
 右側は 開智学校に置かれていた明治天皇のレリーフ 可也老齢の明治天皇です















 現在の開智小学校は 旧開智学校の手前に 昔のイメージを残して建っています


 開智学校の校章です
















 表参道に 新潟県のアンテナショップが有ります





















 レストラン併設で へぎ蕎麦が食べられます
 へぎ蕎麦は 海藻繋ぎ
 喉越しのつるつるとした独特の食感です
 
 へぎ蕎麦と云えば 小嶋屋ですね












 新潟アンテナショップのお勧めは
 この豆菓子

 止まらなくなります











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 取引先の営業の方に教えていただき
 QRコードを作ってみました

http://lapizlazuri.net/  t-ohyama@dp.u-netsurf  09027342840

 携帯カメラは一度も使ったことも無く 宝の持ち腐れ状態でしたが
 これを機会に携帯版のHPも作って見ることにしました