祖父 卯次郎



 祖父 大山 卯次郎 の足跡を追います


 2.26事件に関する本は
 極力目を通しています
 決起部隊を支援した 斉藤劉を追いかけた本は
 初めてです

 南京事件 済南事件については 殆ど知識は有りません
 斉藤劉はこの事件の責任を負って 予備役となるようです

 2.26への斉藤の関与は もっと濃密なものと
 思っていましたが それ程でもないことが以外でした











 この著作の188ページに 祖父 卯次郎の名前を
 見付けました

 「明倫会」は 昭和7年に在郷軍人を中心に結成され
 昭和維新の魁と位置付けられる団体です

 祖父は 第6代サンフランシスコ総領事
 
 領事館の歴史












 右の2冊は 祖父 大山 卵次郎の著作

 右から 
   米国の政治組織及其活動
    国際連盟協会刊
    昭和5年発行 壱円弐拾銭

   阿弗利加(アフリカ)土産
    博文堂刊 
    昭和5年発行 壱円伍拾銭





 司馬遼太郎著

 アメリカ素描



















 文庫本 102ページ






















 昭和5年の発刊です
 
 


















 祖父が昭和天皇にご進講した際

 侍従長の鈴木貫太郎からの召喚状
 昭和4年5月14日の日付が読めます


























































 祖父 大山 卯次郎です

























 後列 左から 正雄(次男) 秀雄(長男)

 前列 左から 義雄(三男) 卯次郎 武雄(四男 父) シマノ フミ(長女)





















 ロスアンジェルス日本総領事館が ロス時代の住居 ハリウッドのすぐ近くです





















 領事公邸1922年(南加在留代表的日本平和祈念写真帳より)

   父 大山武雄が 生活したロサンゼルス領事公邸 と思われます
   父は螺旋状のスロープが室内にあって 自転車で乗降出来たと話していました

























ウィキペディアに 以下の記述を見付けました 
  評議員に並ぶうち 大山 卯二郎(→卯次郎) が 私の祖父にあたります

国際反共連盟
 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』


国際反共連盟(こくさいはんきょうれんめい)とは、1937412日に結成された日本の反共主義団体である[1]。機関紙である反共情報を出版していた[1]。連盟員は1939年前後の時点で約5万人居たとされる[2]1938年には、国際反共連盟内に防共協定記念会を置いて、防共協定記念国民大会に参与した[3]

英語名はInternational Anti-communist League[2]International Anti-Comintern Federation[4]など。

役員
  
顧問: 平沼騏一郎 (元国本社会長、無窮会会長)、近衛文麿、頭山満 (黒龍会顧問)、田中光顕、有馬良橘 (枢密院)

   
評議員: 今泉定助 (無窮会系)、石光真臣、猪野毛利栄、井戸川辰三、花岡敏夫、花岡止朗 (日露協会[6])、羽入三郎、大井成元 (三六倶楽部)、大谷尊由、大山卯二郎、渡邊萬太郎、田中善立、田中都吉、
  田鍋安之助、高山公通、南郷次郎、夏秋亀一、牛塚虎太郎、上田仙太郎、内田良平
(黒龍会、日露協会[6])、野中勝明、葛生能久 (黒龍会)、山本悌二郎、山岡萬之助、山内通靖、松岡洋右 (日露協会[6])
  松岡均平、増田正雄、松永材、松本徳明、二子石官太郎
(三六倶楽部)、小山松吉 (元国本社)、五来欣造(政治学者、皇化連盟代表)、荒木貞夫 (日露協会[6])、有田八郎、赤池濃、佐藤忍、匝瑳胤次、坂本一
 、宮田光雄、皆川治廣、蓑田胸喜、四王天延孝、瀬下清、関重忠、角岡知良、末永一三、内藤順太郎、中原謹司


   
理事長: 井田磐楠 (三六倶楽部)

   
理事: 菊池武夫 (元国本社)、井上清純 (三六倶楽部)、入江種矩 (政教社)、池田弘[要曖昧さ回避]、岩田愛之助 (愛国社)、太田耕造 (元国本社)

   
幹事: 高畑正、川原信一郎、青山憲史

  
嘱託: 山内通靖、藤原繁