今週のトピックス
                                  旧TOPICS

新しい情報は 先ず TOPICS に 御紹介します

 久し振りに モネの蓮を観ました


 年金生活者の特権で 平日老人割引 ¥1,500

 平日にもかかわらず  絵の周りには二重の人垣で 苦労しました

 

























 絵葉書で あの美しさを表現するのは 所詮無理です
 
 此れ迄 モネの水連は その良さが どうも良く判らなかった
 今回 この絵を観て 瞬時に直感的に 美しさを感じました

 モネは 睡蓮を写生しているのではなく 蓮に反射する光の美しさを表現してることに
 初めて気づきました
 左下の睡蓮が 照り輝いているのです 感動でした
























 大好きな ベルト・モリゾの作品です

 一目でモリゾの作品と 判ります

















 フランク.W.ベンソンの 「ナタリー」

 初めて見ました
 解説には 米国の「自律した女性」とかなんとか書いてありました

 1917年の作品

 印象が強く残りました
 こんな ポートレイトを撮ってみたいなと思わせます




















----------------------------------

 第4回日本木彫刻協会の作品展を拝見して来ました































 この協会の副会長 紺野侊慶師と facebook で知り合い 第2回の作品展から拝見しています
 第一回2,306人 第二回3,067人 第三回4.987人と回を重ねるたびに観客数が増えています
 特に第二回は 直前に師匠斎藤侊琳が逝去され 喪章を付けての展示会 私が最初に拝見した回です
 日本木彫刻協会は基本理念の冒頭に展覧会の開催を掲げる一般社団法人で 兄弟子の関侊雲師が
 会長を務めておられます
 名誉会員にテノールの秋川雅史が名を連ね 毎回作品を展示され 当日も会場に居られました


 仏の顔は 彫る人に似ると云いますが
 端正な素晴らしいお姿です



























-------------------

 東京四谷三丁目に「韓国文化院」は 在ります
 韓国に在住経験のある友人に誘われて 友の会に入会しています
 イヴェントの案内が来て 応募したら当選しちゃいました


 応募者は 千人を超え 私はキャンセル待ちから繰り上げ当選
 当日 30人程の集いに 男性は私一人
 「応募者に 男性が少なく 参加していただき有難う御座います」と声を掛けられました
 どうやら 男性が少ないので 繰り上げ当選して貰えたようです

 参加者は 皆さん韓国語で挨拶を交わして居られましたので 在日の方や 韓国での生活経験者ばかりなのだろうと
 推測しました
 ハングルは 全く理解出来ないので 少し居心地は悪かったですが 雰囲気は愉しめました


































 お菓子は 朝鮮宮廷で王族が味わっていたものを再現しているそうで
 昔懐かしい 低い卓に載せられて供されます
 平場に置かれます 本来は正座(右膝を立てた胡坐)ですが
 この日は 足を崩して結構と云われました 
 4人程の女性が 日本式の胡坐で坐っているのが 何となく
 不自然に感じました...


















 お茶は 「五味子茶(オミジャ)」と「宮中花茶」から選びます
 オミジャは 酸味があるというので 宮中花茶を選びました

 ジャスミンティーのような香りを愉しみます




















 五味子梨正果
    造花と一緒に 花瓶に刺してあるのですが
    すげて食べらますと説明があり 黄色い造花を食べそうになりました





















 花の薬果
   可硬めで切るのに苦労しました
   甘さは控えめです





















 胡桃 苺 杏 ドライフルーツ
   砂糖で固めています






















 花煎
   所謂 お餅です






















 茶菓の後は 踊りとカヤグムのおもてなし

 春鶯囀 純祖の息子である孝明世氏が 母親・純元王妃の40歳を祝うために作成した伝統舞踊
 姿勢は能を思わせるような腰を落とした形
 所作は 宮中舞楽そのもの
 こんなに近くに観客を置いて舞うのは初めてと 踊り手が語ってくれました

























 カヤグム
   曲目は「恨五百年」
   25弦のカヤグムは 日本のお琴のルーツであることは
   間違いないでしょう

  恨五百年は チョーヨンピルの唄を何度も聴いている
  私の大好きな曲

  堪能しました













 今回は 韓国文化院のご招待 贅沢な時間を愉しみました 朝鮮万歳(マンセー)!

--------------------------------------------------------------------------------------


 大好きな 佐伯佑三の作品を観て来ました

------------------------------------------------

 2023年 明けまして おめでとうございます
 癸卯 本年私は 後期高齢者の仲間入りです


 私の新年は 今年も 赤坂日枝神社初詣から始まります

 求めるお札は 何時も同じ
   大玉串 厄除開運 交通安全

 願うのは 健康な日々

 清々しく 新年を迎えました














 恒例の絵馬は 虎から卯へ






















 そして 此方も恒例の ひと廻り昔の絵馬
 絵馬も最近は 現代風の絵柄が多くなり 古の絵馬の佇まいからは 少しずつ離れていくように感じます
 変わらぬことを 求めるのは保守の基本 老人は保守に拘りたいと思います




















 以前から読んでみたいと思っていて半世紀御目に掛かれなかった本に巡り合いました

 初版は1962年 2018年に改版 2021年12月に更に再版

 著者会田雄次氏は 陸軍二等兵で応召され ビルマの地で敗戦 
 その後2年余りアーロン収容所で捕虜生活を送られています

 ビルマでの過酷な戦況 更に過酷な収容所での生活を赤裸々に綴って居られます

 私が興味を持ったのは 彼が戦時中上官として仕えた学徒出陣兵 松井少尉が
 私の大学の所属した研究室の指導教官 村井俊雄教授だったからです
 このことを知ったのは 大学を卒業して随分経ってからでした
 
 更に私が勤務した会社の店があった銀座あづま通りの老舗呉服商 美裳三松さんの
 御主人が会田教授と大変近しい間柄とお聴きし 奇遇を感じました

 本文中で 会田さんは 上官を酷評こき下ろしていると聴いていたのですが
 学徒出陣の新米士官として 記述されています











--------------------------------------------------------

 大学を卒業して50年が経ちました 我々の卒業式会場が建て替えられ 新しい日吉会堂で50年目の卒業生が連合三田会から招待され千名を超える同期の仲間が日吉の丘に集いました
 謂わば二度目の卒業式 連合三田会会長から 人生100年時代あと四半世紀 改めて学びの道を究めて欲しいとの激励のお言葉を頂戴しました



















 同期で卒業したのは 全学部で6千人 この日此の会場には千人を超す老人が集いました
 コロナで2年間 大会は開けず リアルに一堂に会したのは3年ぶりです















 恒例の塾旗入場 
 昔よりも簡略化されています















  コロナ禍で 自粛かと思いましたが
  「塾歌」を高らかに 斉唱しました
  記憶では 確か7分を超える長い長い歌です














 我々卒業50年の 1972年学年代表 中瀬雅通さんの御礼挨拶
 中瀬さんは 我がクラスメイト
 




























 例年は 50年目に塾からお祝いの会が開かれ 
 連合三田会大会では 日吉のグリーンハウス(学生食堂)で会食が
 催されるのですが 之もコロナ禍で中止

 記念品として 式典参加者に腕時計が配られました
 中々 洒落たデザインです

 






















 武相荘(ぶあいそう)


 白洲次郎 正子夫妻の住居跡が 記念館 食堂として 公開されています

 昭和17年10月 白洲が農家を購入し 翌18年5月に移り住みました
 当時白洲はニチレイの役員の地位にあり 退職金を注ぎ込んでの購入とか
 武蔵野と相模の境にある事から 無愛想と掛けて名付けたとのこと
 小田急線鶴川駅から徒歩15分

 写真は 記念館の隣のレストラン 映っている入り口際の席に坐りました
  (小田急のHPからお借りしました)
 














 テーブルに置かれた箸置きの文字は 近衛内閣司法大臣 風見章の書と思われます























 お勧めはカレーです と云われましたが 
 私は 次郎が愛した親子丼 を選びました

 出汁が強く 少し辛目です




















 個人的には 次郎が愛した親子丼は もっと素朴な田舎風の丼ではなかったかと























 珈琲は エスプレッソ系
 神戸出身の次郎の好みは 神戸元町風の珈琲ではなかったかと

 この器は 縁が丸くなく 8角形をしています この辺は 次郎の粋を感じさせます




















 記念館本館 

 次郎は随分手を入れさせたようですが
 わらぶき屋根だけは そのまま残したようです

 入館料千円 室内撮影禁止 です


















 入り口の倉庫に置かれている車は TVドラマ化するときに輸入したもので
 次郎の乗っていた車にちかいものだそうで...

 些か がっかり

 武相荘に越してきたのは戦時中 庶民にはガソリンの配給など無い時代です
 戦後も 此処から車で通勤していたのではないかと思います
 その意味では 決して庶民ではない 特権階級に位置する男であったと思われます
















-------------------------------------------------------------------

 鴨川食堂


 エッセイスト 柏井 壽氏の 2013年から続くシリーズ小説 鴨川食堂
 萩原健一主演でTVドラマ化もされました
 当初は 雑誌連載だったようですが 最近は書き下ろし
 シリーズ物は最新作を手元に置いて 一つ前の出版を読むようにしています
 最新刊は 2022年5月 2年ぶりの出版です


























 最新作は 第8弾「しあわせ」

 毎回話の流れは 何時も同じ
 探偵事務所を訪ねて 京都に客が訪れ 食堂でお任せ料理を食べる
 探すのは 「食」 其れもありふれたて定番料理
 2週間後に 調査結果が出て その料理をクライアントが味わう

 第7弾のテーマは
  ビフテキ 春巻 チキンライス 五目焼きそば ハムカツ ちらし寿司

 最初に 食堂を訪問した際に お任せで 食堂主人の作る料理が提供されるが
 此れが 実に凝った料理 添えられた調味料が此れまた実に芸が細かく 
 読むだけで 涎が口中に溢れます
 とても短時間での調理などあり得ないものばかりです

 何時もお目当ての探し物は見付かります 其処に思わぬエピソードが展開され
 ほろりとさせられます
 良くぞこれだけ色々と 話を紡ぐことが出来るものだと 何時も感心させられます












 鴨川食堂の所在地は 京都正面通り
 写真を左右に横切るのが烏丸通り 左から右へ上っていきます
 正面が東本願寺

 本願寺の正面の通りということなのでしょう
















 正面通りは東から西へ一方通行
 突き当りが 本願寺飛地境内地 国宝渉成園
 通称仏壇通りとも云われるそうですが 殆ど店舗は見当たりません


















 此方が名勝国宝渉成園

 寛永十八年(1641)将軍家光が寄進した一万坪 
 石川丈山の作庭

 本願寺は天正十九年(1591)秀吉が 堀河六条の地を寄進 後に現在の西本願寺の地に移転
 東本願寺は 慶長七年(1602) 家康が教如に烏丸六条の地を寄進 後に現在の地に移転します
 極めて政治的な大谷派の歴史が始まります













 物語の中で 鴨川食堂は 烏丸通りを右折し東に進んだ正面通りの右側にあると
 掛かれます
 其れらしき店は この三軒なのですが 実はこれ等はみな 東に向かって左側
 通りの北側のお店なので 之も外れ

















 それらしいのは 角の煙草屋ですが
 鴨川食堂は鰻の寝床の京屋ですので
 此処ではありません


















 煙草屋の角を曲がった郵便局の手前のお店が
 何となく 鴨川食堂の雰囲気を醸し出していますが
 お店の入り口は 引き戸という設定ですので
 之も違います

 尤も 実在のお店に設定すれば 観光客が
 大騒ぎをするでしょうから 架空の店の方が
 良いのかもしれませんね

 ロケ地巡りのような愉しい時間を過ごしました
 実は 一度訪問して撮影したのですが
 PCに移動させるときに 失敗して全部写真が消えてしまい
 改めて 取り直しに訪問しました






--------------------------------------------------

 紅葉坂の井伊直弼


 神奈川県立音楽堂で 藤原真理のコンサートを聴きました
 音楽堂の裏手の丘の上に 井伊直弼の銅像を見付けました

 江戸時代不動山と呼ばれた江戸湾を見下ろす丘を旧彦根藩士が
 購入し 1909年(明治42年)横浜開港50年記念に銅像が建立
 井伊を開国の恩人とした建立主意書に反発し 山縣有朋 伊藤博文
 松方正義 井上馨は除幕式を欠席 直弼の官位掃部守から掃部山と
 呼ぶようになったとありました

 最近読んだ本には 直弼は最後まで開国には反対していたものの
 一橋擁立派の外国奉行岩瀬忠震が無勅許で日米修好通商条約を
 締結する
 直弼は条約には署名せず 岩瀬を作事奉行に左遷して乗り切りを
 計る
 松平春嶽-橋本左内は 無勅許を責め井伊大老の失脚を図るが
 安政の大獄で 反対派を一掃し 生き残りを計る...

 直弼に深い思慮があって開国を進めたわけではなく 己の権力闘争の
 結果でしかなかったと断じます

 従って 「開国の恩人」の称号は 岩瀬忠震に譲るべきでしょう








---------------------------------------------------

白いポストと 白い灯台


 銚子電鉄に乗って 犬吠埼灯台に行って来ました

 灯台には 前にも来た覚えがあるのですが こんなポストがあった記憶はありません

 何やら 曰く因縁が有りそうです

 「幸せを呼ぶポスト」、「願いが叶うポスト」、また、2012年のホワイトデーに設置されたため
 「恋愛が成就するポスト」などと、いろんなウワサが囁かれるようになったそうです

 若き日であれば兎も角 今は充分幸せを享受しておりますので
 私には用無しでした





















 何度か 来てはいるものの 一度も登ったことはありません
 昇降用のエレベータは無く 99段の階段がある様です

 膝に古傷がある私には これまた 昇る気を持たせませんでした




























 景色としては 素晴らしい
 海を行く船には 欠かせない目印でしょうね



























--------------------------

 中山法華経寺の櫻


 師事する先輩のお誘いを受け 花見に出掛けました

 下総中山法華経寺です

 令和4年3月31日 現役時代であれば 一番忙しい年度末であります
 最高の花見日和 満開の桜を堪能出来ました

























 本数は 其れほど多くはありませんが
 参道に沿って植えられた桜が 丁度満開でした
 



















 手入れが行き届いており 回廊を覆う丁度良い枝振りです






























 同行させていただいた I先輩 
 東山魁夷記念館前で

 現役時代には 余り交流はありませんでしたが
 最近は Iさんの指導を受けて居ます


























 記念館併設のカフェにて

 素敵な ティーカップでした

 代表作「道」の デザインです












------------------------------------------

 昨年7月からFTPが接続出来なくなり 更新出来ずに居りました
 本日(22.3.28)漸く 悪戦苦闘の結果 無事接続再開出来ました 
 宮仕えを終えて 早や2年が経ちました
 老人モードで ゆっくりノンビリ 書き込みたいと思います

----------------------------------

 三代目J-SOUL CAMELLIA 代替わりです


 我が家には 世田谷野沢-横浜綱島-千葉幕張と植え替えられて来た
 椿の木があります

 そもそもは 両親が新婚旅行で熱海に行ったときに拾った椿の種を
 世田谷の借家の小さい庭に植えたものが始まりとか

 最盛期は 10本以上あった椿が 母が介護施設に入居 誰も手入れをしない
 椿に茶毒蛾が発生 全滅に近い状態の中で一本だけ残った五色椿に3年程で
 種が付き 植えたものが 芽をふきました

 30個以上植えた種のうちで 発芽したのは4本
 逞しき世代交代です









 花が咲くまで 私の命が持つのか 些か不安な今日この頃です



















------------------------------------------------------------------

 栄にて



















 外出自粛の中 些か事情があって 名古屋栄を訪れました
 目に飛び込んで来たのは 通りの向こうに見えたビルの片隅 
 最初は 良くわからなかったのですが
 実は 交番です
 敬礼をしている形なんですね
 東京では「KOBAN」という表示が 話題になったこともあります
 漢字では イメージが固いということから ローマ字のような そうでもないような
 不思議な表示で 若者に評価を求めたような印象を持ちました

 この名古屋の交番は さらに進めて街への融和を考えたものかと...
 近年 交番に勤務する「お巡りさん」は 大半が警察官から 民間警備会社からの派遣に
 切り替わっていることを ご存じでしょうか
 被っている制帽で区別がつくようです
 確か 拳銃を携帯していなかったと思います

 世の中の変化を感じる一コマでした

-------------------------------------



 令和三年正月

 新年明けましておめでとうございます
 私の新年は 何時も赤坂日枝神社初詣で始まります


 コロナ禍 混雑を心配しましたが 閑散としていました
 東正門の階段が 年々きつくなり 何度も息継ぎをしなければ
 登れなくなってきました
 もう 意地を張らず西側のエスカレータに頼るべき年頃
 なのかもしれません

 

























 昨年は 2日には絵馬が売り切れ 入手出来ませんでした
 去年まで 絵馬は千円でしたが 今年は¥700円
 露店自粛 神楽無し 絵馬の売り場も縮小して
 コロナ禍に備えていました

 左が今年の絵馬 現代風のものを避け 一番おとなしいものを
 選びました

 右は12年前のもの













 西門近くの寒桜
 スマートフォンで撮りましたが
 ピンぼけでした

 今年は 花も少なく
 寂しげです






























 一月二日の東京国立博物館 70歳以上は無料 毎年正月は 長谷川等伯の「松林図屏風」が展示されます
 国宝にもかかわらず 撮影可であることが嬉しい 


 全体が深い霧に閉ざされた 静かな佇まいですが
 近寄ってみると 早い筆致の荒々しさが見て取れます
 細かい固い描写が 全体で静寂鬱蒼を表現する
 等伯の画力を強く感じます



























 お節は 毎年変わらぬ品揃え
 毎日健康を支えてくれたヤクルトを添えて



















-----------------------------------------


 御堂筋の由来



 大阪市内の幹線道路「御堂筋」 通りの名称の由来を考えることはありませんでしたが ふと気になりました

 梅田から難波まで 一方通行六車線 およそ4km続きます
 抑々は 沿道に北御堂 南御堂が立ち並ぶところから名付けられたのだそうです

 南北御堂は 浄土真宗の坊社「大阪御堂」から始まります
 明応五年(1496) 現在の大阪城付近 上町台地石山の地に 第八代蓮如が大阪御坊を開きます 
 天文元年(1532)山科本願寺が全焼し 宗祖親鸞聖人の御真影が 大阪御坊に移され本山石山本願寺と称されます
 永禄七年(1564)本願寺は全焼するも一年で再建 その後 織田信長の寺域明け渡し要求により 約10年の石山合戦を戦います
 天正四年(1576)講和 天正8年(1580)和睦を経て 天正10年(1582)本願寺は大阪を退去 紀伊鷺ノ森に移転 天正十一年(1583)和泉貝塚を経て 
 天正十三年(1585年)豊臣秀吉の願いにより 大坂天満(現在の天満天神社の地)に移転  
 更に天正十九年((1591) 再度秀吉の願いにより 現在の京都の地に移転 現在に至ります

 本願寺の京都移転後 大阪門徒は 天正二十年(1592) 信長が本願寺攻めの折に設けた楼(ろう)の岸砦跡(天満橋南詰 八軒屋付近)に集会所を設けます
 此れが本願寺津村別院であり 慶長二年(1597) 船場の町割改革の折に現在の地に移り 北御堂と称されます

 北御堂の南側 南御堂は 文禄4年(1595)教如が 道修町に大谷本願寺を建立したことに始まります
 慶長三年(1598)秀吉の大阪城拡張に伴い 大谷本願寺は現在の南御堂(難波別院)の地に移転 その後家康により烏丸七条の現在地に東本願寺として再度移転します
 難波別院跡が 現在の南御堂となります  本願寺の歴史は 本家争いから複雑に絡みます
 
 昭和2年の大阪都市計画により南北御堂門前の道が拡幅され 御堂筋と命名されます


  三橋節子 大津の三橋節子美術館を訪ねました



 目白にある 切手の博物館 入り口に設置していある郵便ポスト 
 「楳図かずお」さんのデザインのように思えます
 現役のポストですが 投函する人が居るのかどうか...





























 同じ切手の博物館内に展示されている懐かしい旧式郵便ポスト
 ポストの上に 鳥が止まっています
 勿論偽物であります

 此方のポストは現役ではありません
























--------------------------------------


 東京駅八重洲で見付けました

 灰色の郵便ポストは 珍しいです

 良く見ると 赤い普通のポストの上から
 灰色に塗り上げているようです
 
 街並みに合わせて 色合いを変える店も
 増えています
 そんな試みの結果であろうかと...





















--------------------------------------------------------


 菫ほどな 小さきものに 生まれたし 愚陀仏

  愚陀仏は 夏目漱石の俳号です 生涯二千六百句もの俳句を残しています
  漱石30歳の 明治30年2月 正岡子規に投句した40句の中に 含まれます 

  幾つかの解釈がなされており 漱石は前年4月熊本第五高等学校赴任
  6月結婚 7月には教授となっています

  菫ほどな 菫ほど  二つの句が存在するようです

  極く極く 単純に スミレの花のように  世の中に 可憐に小さく咲く スミレの花のような存在になりたい と 
  解釈してみたいと思います

  企業人を引退して ちょうど一か月 自らの企業人人生を振り返り
  ふと 此の句が 心に 沁みました

  現役の時代は どうしても 此の調べに非ず もっと大きく もっと精緻に と考えるばかりでした
  
  しかしながら 大切なことは 何をしたかではなく どのようにしたか であったように思います

  青い鳥を探すことよりも 青い色を出すことにもっと注力すべきだった と 振り返っています  
                                                          2020.5.2

------------------------------------------------------------


 4月1日より 完全自由年金生活者となりました
 47年間の企業人生活は 周囲の都合で自分の行動を決めざるを得ない受動的立場
 携帯電話が鳴るたびに 何か不幸が起き 後始末に走り回る生活の連続でした
 気分的には24時間宮仕えの心境
 「良くストレスに耐え 頑張った 感動した」なんてネ

 3月31日に送った退任挨拶500通
 随分多くの方から 慰労の手紙・mailを頂戴しました 感謝します
 4月1日に受け取ったので エイプリルフールかと思ったなどと云われて苦笑する一幕も

 自由人になって 最初の行動は まず携帯電話の電源を切りました
 これだけで 随分ストレスがなくなりました
 50代後半から始まった数々の投薬 中性脂肪 高脂血 高血圧 そして糖尿
 全ての数値が 投薬前のレベルまで下がり 改めてストレスフリー生活のおかげかと...
 
 何時もより早い開花のチューリップ
 3年前から毎年一列ずつ増やしています
 今年は 球根を植えた時期から雨が多く ほとんど何もしていないのに
 結構見事に開花しました
 ひとつ置きに 色を変えて植えたはずなのに 何故か同じ色の花が並んでいます

 毎日が日曜日が始まった途端に コロナ禍で 世の中一変
 今までのライフスタイルが大きく変わりそうな気配を実感しています







 六度目の年男の歳を迎えました

 愈々 本格的老後が始まります

 48年続けた宮仕えから解放される節目の年となります

 「一期一会」という言葉が真実味を帯びていた60代から
 「修め」という言葉が切実に迫ってくる70代へ

 日々是好日を 噛み締めていきたいと思います












 喪中ではありますが 父から引き継いだ日枝神社詣で
 今年も 2日にお参りし 新たな玉串を頂戴して来ました

 新しい年を 新たな心で迎える
 古きお札をお返しし 新しい玉串を頂く
 穢れを嫌い 新しいもので清めることに 意味を持たせているように思います

 清々しく新しい年を寿ぎます












---------------------------------------------------------

 令和元年が暮れようとしております
 私にとっては 些か記憶に残る一年となりました

 1.11月に99歳の母を見送りました
   順逆とならず 母の最期を看取れました

 2.初夏に 体調を崩しました
   持病の糖尿病が悪化し インシュリン投与の危機に襲われました
   幸い 投薬を変え 現在は落ち着いています

 3.漸く 宮仕えから解放されることとなりました
   令和2年6月で 会社勤務を終えます
   愈々 老後生活に入ります
   暫く控えていた 行脚の旅に出たいと思っております

 4.来年は 6度目の年男です


   皆さま どうぞ 良い年をお迎えください

---------------------------------------


 大嘗祭宮
    平成から令和に代替わりした今年行われた 大嘗祭
    この祭りを執り行う斎宮としての大嘗祭宮が公開されたので 見学して来ました


 見学当日は 令和元年12月4日(水) 
 平日であれば それ程の人出もなかろうと 甘く見ました

 何と 並び始めて観終わるまで2時間超



















 当日は 坂下門から入り 天守台近くに造営された宮の周囲を抜け
 大手門/平川門 もしくは 乾門へ抜ける一方通行

 6列で遅々と進まぬ大行列 師走とは思えぬ馬鹿陽気のなか
 可也 草臥れました


















 古式に則った造営なのかもしれませんが
 むしろ 無味乾燥 簡素な造りです

 



















 18日間で80万人が 見学したとのこと

 大嘗祭の費用は 宮廷費計上で 27億円
 宮の建設には19億が費やされたとのこと

 一見する限り それ程の費用が掛かったとは
 感じられませんでした

 皇位継承費用全体では 160億とか














 秋篠宮殿下が 大嘗祭は 宗教儀式であるとの見解を示しているとのことですが
 私も 同感です





















 宮の前では立ち止まるな 歩けと云われ
 ゆっくりカメラを向ける余裕はありません

 じっくり拝見する余裕なく通り過ぎました



















 写真正面左側の建物が 祭祀の場のようです 






















 宮内庁のページから お借りしました
 此方の方が 全体構図が判りますね



















 平川門に抜ける沿道に見付けた
 山茶花の一輪

 
















---------------------------------------------------


 慶應義塾の卒業生の集まりとして 三田会が有ります
 卒業年度 地域 職域 での 集まりの他に 任意団体という括りがあり
 毎年10月に日吉の丘で開催される連合三田会大会があり
 その会場設営を担当した仲間が集まったのが 「てんと三田会」です

 私も卒業30年の幹事年で大会の模擬店出店を管理する模擬店部会に
 名前を連ねたことがあり その時の御縁でこのてんと三田会に参加しています
























 今回の会合は 団体設立25周年ということで
 中山競馬場馬主来賓室で開催しました
 82年卒 飯田総一郎さんが 馬主ということで
 会場を御世話いただき 92年卒林フルーツの林政一郎さんのご紹介で
 タカノフルーツパーラーから独立された平野泰三氏に
 フルーツカッティングとカーヴィングの妙技をご披露いただきました

 鮮やかで見事なものです

 作品は 25分ほどで乾燥してしまうそうで 後ろの部分は切り取って
 食卓に供されました










 メロンがこれ程美味しいものとは 知りませんでした

































































 左から 飯田さん 競馬予想の講師 林さん 
 そして 中山競馬場長の中村圭一郎氏 
 中村さんと名刺交換を出席者が求めていました
 縁起担ぎだそうです...



























 博才のない私の関心は もっぱら 馬
 被写体としては 意外と難しい...



















 この日 初出走の牝二歳 メモワールミノル パドックにて

 此方を 睨んでおります

 この日は 前半は前の方に居ましたが 
 ゴールは 後ろから何番目でした















 長崎波佐見焼です
 大村藩主 大村喜前が 慶弔の役が終わり帰国する時  朝鮮陶工の李祐慶が同行 慶長三年(1598)村内に登り窯を築いたのが始まりとされます
 当初は陶器を焼いていたのが 天草で白磁に向いた原料石が見つかり 磁器生産に移行していきます

 薪炭材を巡り 隣国有田との争いが絶えず 有田焼の名称も使用が禁止され 波佐見焼を称するようになったとか

 生地の白さ 古伊万里を彷彿させるデザインの良さ 藍の釉薬の美しさ 私には日本一の磁器と思えます

 日本橋の長崎県アンテナショップ 長崎館で見付け買い求めました












 左は 使い始めて5~6年も経過しているでしょうか
 右は 同じデザインの皿ですが 生地の色 藍の色 同じものとは思えません
 焼きの違いなのか 使ううちに変わっていくのか

 陶磁器の面白さ ですね














-------------------------------------------------------------------


 友人と会う機会があって 世田谷に出掛けました
 待ち合わせ場所が 目黒通りだったので 
 久しぶりに 生まれてから十数年を過ごした野沢の地を
 訪ねてみました

 旧住所は 世田谷区野沢町2丁目130番地
 現在は 野沢三丁目24-11 という表示に
 変わっていました

 写真の右端 車のヘッドライトが写っている場所です














 家の前の道を進んだ最初の十字路の左奥の低い塀が
 私の壁キャッチボールの場所です

 ボールをぶつけた場所に まあるく凹んだ跡が残るほど
 毎日毎日 投げ続けていました



















 我が家から この角を右に折れた先に
 野沢公園があり 角から2軒目の右側が
 巨人軍に入団した長嶋茂雄さんが下宿した俣野家でした
 
 我が家の庭の生け垣を潜った先に 長嶋さんの部屋があり
 裏から遊びに行きました

 昔に比べて 道の幅がとても狭く感じます
















 此方が 野沢公園
 私たちの子供時代は 中央の大木が ありませんでした

 球技も 出来ました 今は禁止です




















 右側の青い鉄棒の奥をホームベースにして
 草野球が 出来ました

 




















 我が家の前の一区画は 畑で
 その先にあったのが 区立中丸小学校
 小学校一年生の最初の一学期だけ
 此方にお世話になりました



































------------------------------------------


 神田 岩本町2-4 この住所でピンとくる方が居られれば
 相当な歴史好き と思われます

 今は全く面影のない 「神田於玉が池」界隈ですです

 茶屋娘お玉の悲哀物語から名付けられた池は 江戸末期に 駿河台の山を削り その土で埋め立てられました
 
























 ビルの谷間に 小さな祠が建てられています
 「お玉が池跡」との 千代田区教育委員会の
 説明表示がありました

 教育委員会は 校長先生の退職後のお仕事の場と
 思っていましたが 歴史保存に尽力されているようです

























 此方もビルの谷間の 細い通路のような
 公園のような

 ベンチもありませんが 綺麗に整備されてはいます

 「お玉が池の正確な位置 何処から何処までかは 良く判らない
  付近に 漢学者 儒学者が数多く住み 学問の中心地のひとつだった」
 と説明看板にありました















 小さな空き地を 見付けました























 東條一堂の学塾と千葉周作の玄武館が平成されていた場所と碑にあります 


 東條一堂は 反朱子学の儒学者 海防論に詳しく 老中阿部正弘に建言を重ねたそうです
 門人に清河八郎 安積五郎などの名前を見出せます
 元々 昌平黌と対抗すべく湯島聖堂の隣に塾を開講 後のこの地に移転「瑤池塾」と名 付けました
 この塾が 後の東條会館につながるのだそうです

 隣にあったのが 北辰一刀流 千葉周作の玄武館道場 
 清河八郎 藤堂平助 山南敬助という新選組の面々
 山岡鉄舟 平手神酒など 

 










 付近に 佐久間象山の塾もあったようです

 昭和32年に 搖池塾 玄武館の碑が建てられています
 発起人に 山梨勝之進 木村篤太郎の名前を見付けました

 山梨勝之進 堀悌吉が海軍を追われていなければ
 太平洋戦争は避けられたのではとの思いを私は持っています

 山梨は 戦艦三笠の保存 海上自衛隊創設にも尽力された方
 海兵25期次席の秀才ですが 仙台出身というハンディキャップを持ち
 薩摩中心の海軍においては 苦労をされたのであろうと思います




















 すぐ近くを 神田川が流れていたようです
 赤字で囲ってあるのが 瑶池塾 玄武館の位置です




















------------------------------------------------------------------


 四谷三丁目駅の西北側の小路を上ると すぐ
 大きな壁絵が 眼に飛び込んできます

 美術愛住館と名付けられた 堺屋太一氏とその奥様で
 洋画家の池口史子(いけぐちちかこ)の元住居を改装した美術館です

 開館してちょうど一年が経ちました 
 残念ながら 堺屋さんは昨年逝去されました

 大きな壁絵は 池口さんの作品です





















 縦長の洋館
 池口画伯のアトリエでもあったようです






























 一周年記念の展覧会は 
 私の大好きな アンドリュー・ワイエス展

































 ワイエスの代表作は 「クリスティーナの世界」

 そのクリスティーナ姉弟が住んでいた「オルソンハウス」

 今回の展覧会は ワイエスの習作を中心に展示されていました


















 どの絵も 素晴らしい質感
 とても繊細なタッチで描かれています


































 こちらが 池口史子画伯の作品(展示はされていません)

































--------------------------------------------------------
























 近年 帽子を愛用しています
 冬場は とても暖かく 健康維持のためにも良いのではと思っています
 夏場も 日差しを避けるには 最適です

 帽子屋は 父からの受け売りで 銀座トラヤ
 浅草にも支店があります
 
 最近の帽子は 洗濯も出来ますし 形状記憶で折り畳みも可能です












---------------------------------------------------------------------



 1877年 初代 尾野友市が島根県松江に窯を開いて
 二代岩次郎が袖師浦に窯を移転
 三代敏郎が民藝運動に参加し 柳宗悦 河井寛次郎 バーナードリーチ等の
 指導を受ける
 現在は 五代目の友彦氏が継窯

 写真は 花彫湯呑 \2,365

 島根県の銀座アンテナショップで求めました
 淡く塗られた釉薬の濃淡が趣があり 飽きの来ない湯呑です

 島根県松江は 不昧公の影響もあり 多くの窯元があるようです







----------------------------------------------------------------


 神座(かむくら)のラーメン

 元々は 大阪のラーメン店です
 カウンターの中は 全員トックハットにコックコート
 専門店の雰囲気を醸し出しています

 最大の特徴は スープです
 調合は 店主以外完全極秘とのこと

 キャベツのエキスと聞いていますが 其れだけではないように感じます

 近年 東京にも随分進出して来ました
 ご一緒した友人は 昆布ではないかと

 そう云えば そんな気もします

 世の中 豚骨スープ一色になりつつありますが
 神座のこのスープが普及しても良いかと思います






 此方は 初めて食した餃子

 20年前に心斎橋で初めて行った一号店は
 カウンター席のみ
 メニューもラーメンだけだったように思います
 恵比寿の店は ファミリーレストラン風の客席もあり
 家族で楽しめます















-------------------------------------------------------------------


 新橋に トンカツの名店が ありました
 正確には 今もありますが 代替わりして味が変わりました
 正直なところ何度か期待外れがあり 残念に思っていました

 偶々 池上梅園に行こうと 近所の飯処を探していたら 眼に飛び込んできたのが 燕楽池上店
 店構えは 新橋の店と似ています

























 如何にもトンカツ屋のカツ丼という印象

 カツが主張しているところが素敵ですね
 ご飯は少なめにしてもらいました




















 卵はかき回さずに目玉焼き状態で置かれただけ 
 皮はパリッとしていて カツの肉も味わいがあり 燕楽の味が再現されています

 食べ終えて レジの女性に 新橋の燕楽との関係をお聴きすると
 「暖簾分けです 新橋は代が変わったので...」と
 やや素っ気ない返事
 「此方の方が旨いね」と声を掛けても 反応は素っ気なし
 新橋との関係を聞かれるのは迷惑そうな感じでした...














----------------------------------------------------------------------


 New Insight に乗り始めて2か月が経過しました

 この辺で一度 Reviewしておきます

 前モデルとは 全く違う機種との印象を受けます
 軽い車でしたが その分薄っぺらでふにゃふにゃした乗り心地で後方視界が悪かったことを想い出します

 今回の車は 新CIVICをのシャシーを使っているとのことですが 全く様相が変わりました
 1500CCですが 普通車3ナンバーです
 電気モーターが2個装備されているとのことですが 出足は良くシフトの切り替えがとてもスムーズです
 重厚感が溢れています 車高は前機種と同じくとても低い
 100km走行しても安定感があり 長距離を走っても全く疲れません
 
 リアウィンドウのワイパーが無くなりました 多少不安もあります
 この色は 私の好みですが 関東地方の赤土の埃がとても目立ちます
 運転席の両側の間隔が狭く 物が落ちると取れません シートベルトが引っ掛かります 
 座席を少しだけ小さくして欲しいです 燃費は 今のところ 20km/L 
 自動運転技術は 驚異的に進歩しており 羽田空港に向かう高速20kmを 時速90kmに設定 自動運転にして走らせたところ
 料金所で一度ブレーキを掛けただけで あとはアクセルペダルを踏むことも無く 走ってくれました
 免許証返上の日まで乗り続けることが出来そうです

--------------------------------------------------------------------


 車を替えて 最初のドライブは

 鋸南町元名の喫茶店「岬」

 不思議な岬の物語で 取り上げられたお店です



















 丁度お昼時で 
 食事物は トーストしかありません

 ピザトーストとブレンドで 千円




















 眼前に広がる東京湾 
 横浜川崎から三浦半島が 水平線に浮かびます






















 キーコーヒーのブレンドは 美味しいです

 火曜日お昼時 私の入った時間には
 勉強をしている女学生と私だけ
 私が帰るときには ノーゲスト

 静かな静かな ひととき でした























-----------------------------------------------------------------------

 車を買い替えました


 発売されたばかりのHONDA Insight です
 5年前に乗っていた車 Insightが シャシーに歪みが出て已む無く買い替えることにしましたが
 この時は生憎Insightは生産中止 FITハイブリッドに乗りました



















 旧Insightに乗る前に FITを勧められたことがありましたが
 その頃は 殆ど興味を持てませんでした
 実際に乗ってみると 正にタウンカ―
 小回りが利き 駐車が楽で 20km/L 走りました
 ご近所走りには 最適の車かもしれませんが
 如何せん 室内が狭く圧迫感があります
 長距離を走ると 疲労感が残りました













 5年経って 車検が近付いたところで ディーラーからInsightが復活するとの知らせがあり 話を聞きました
 NewCIVICのシャシーを使って 最新の安全装置を装備し 名前はInsightですが 全く新しいコンセプトモデルに仕上げています

 この車は 3ナンバーです
 以前は 排気量2000CC以上が普通車 小型車は1800CC以下という規格がありましたが 今は車の大きさで区分けするのだそうです
 初めての3ナンバー 幅が10cm大きくなり 少し緊張します
 ギアシフトレバーが無くなったり ドライブレコーダーが付いていたり 自動運転装置が完備していたり 技術進歩の速さに付いていくのが大変です
 漸く 念願の 青い色を選ぶことが出来ました


----------------------------------------------------------------------------------


 明けまして おめでとうございます

 皆様は どんな正月をお過ごしでしょうか

 当方年末から 風邪をひいてしまい

 完全な寝正月

 恒例の日枝神社お参りも延期です

 









--------------------------------------------------------------------------------------------------

 年の瀬 大晦日を静かに迎えて居ります
 ほぼ自由人としての一年 少しのんびり過ごせたように思います

 心のゆとりを持つべく 自分の号を考えてみました
 当初 「至青」と考えたのですが 「至蒼天」に落ち着きました
  
 自宅で豆を挽き珈琲を淹れて 読書三昧の日が続きました 
 年末に「bookoff」で 読み終えた本を150冊売却し \6,300を手にしました
 半世紀近く 買いためた蔵書を この一年で大分整理出来ましたが 余り在庫が減ったようにも思えません
 古希を迎え 断捨離を心掛け何事も整理していくことが必要な年代となりました

 BLOGは 一日置きの更新を何とかやり遂げましたが 此のホームページは 余り整備出来ませんでした
 来年は 此方も 断捨離していこうと 密かに思っております

 皆様も 良い年をお迎えください

 平成30年12月31日



 島根 出雲の代表的窯元 出西窯(しゅっさいがま)
 昭和22年開窯 かの柳宗悦らの指導を受けた民藝作品

 此の珈琲椀は バーナード・リーチのデザインによるものだそうです
 出西ブルーと呼ばれる呉須の青 グラデーションが素晴らしい 
 此の椀のための皿もあるのですが 金銭的理由で断念しました















 
 いずれ 貫入に色がついて 景色が変わると思います
 どう育つか とても楽しみです

 此の珈琲椀は マグカップ並みの大きさです


















 島根・松江 宍道湖畔 袖師(そでし)焼窯元作  
 袖師焼窯は 現在は五代尾野友彦氏が率います

 花彫湯呑 此の独特の文様は 不思議な落ち着きを感じます

 

























 湯呑の縁(写真右奥)に彩柚の付かない部分があります
 釉薬をかけるときに手で挟んだ跡が残ったと思われます

 この傷が 却ってこの湯呑のポイントとなっているように感じます
 若いときは 完璧なものを好みましたが 最近このような傷が
 とても趣があるように感じ始めました

 完璧なものより 少し傷のあるものの方が 面白い
 自分の心境の変化にも 面白味を感じます





















 有田で見付けた 手書き市松模様の磁器

 手書きの呉須が 微妙に濃淡があり
 面白味を深めています

 此のカップは 珈琲よりも紅茶が似合います













---------------------------------------------------------------


 銀座5丁目 あづま通りに鎮座まします あづま稲荷大明神です

 戦後 この付近で失火が続き 近隣を調べたところ 昔近くにお稲荷様が祀られていたことが判りました
 町会の有志が 京都伏見稲荷を勧請し お祀りをしたところ その後火事もなくなったとのこと

 毎年 初午と 銀座祭の折に行われる神社巡りの折に 赤坂日枝神社から禰宜をお招きし
 お祀りを続けています








































































 お祀りの後は 銀座コアの「大志満」で 直会(なおらい)を開きます

 大志満は 金沢料理の銘店 お料理はどれも思わず笑顔が浮かぶほどの美味しさ

 料理の圧巻は 治部煮

 若き日に 前職の先輩にご馳走していただいた 地元の味と違わぬ美味しさです
 
 正直なところ 此の美味しさに惹かれて お参りに駆け付ける という処も否めません













----------------------------------------------------------------------

----------------------------------------


 東京で親子丼というと「人形町 玉ひで」が 一番に挙げられるでしょう
 しかし 其の繁盛ぶりは連日の大行列 些か高額(最高値三千円)となり過ぎ
 庶民の手の届きにくいところへ遠ざかってしまった印象を持ちます

 此方はスカイツリーの下 玉ひでの八代目山田耕之亮と娘「いちの」さんが
 別ブランドとして立ち上げた親子丼専門店「いちの」です


























 店名は 石原慎太郎氏が 色紙にお書きになったものを掲げています

 カウンター24席のみ





























 濃厚な鶏がらスープが 先ず提供されます























 中央は 烏骨鶏の卵

 お値段は ¥1,900

 濃いめの出汁 触感の有る鶏肉
 食感の違う 腿肉と胸肉が散りばめられております

 美味しゅう御座いました














----------------------------

 念願の「てんぷら近藤」に行って参りました
  

------------------------------
-------------------------------------------------

恒例の 奈良の友人 堀内保彦さんの写真展
 
 今年の春のテーマは 櫻 

 例年通り 5月の連休に 入江泰吉奈良写真美術館で開催されます
 入場無料

 5月2日(水)~5月6日(日)です

 お近くの方 是非お出かけください

 撮影情報など 色々教えてくれます


















------------------------------------------------------

 漱石山房記念館をUPしました(18.02.18)



 最近の正月は


  1日 全日本駅伝鑑賞
  2日 赤坂日枝神社に年始参拝
  3日 箱根駅伝復路鑑賞

  4日 会社年始式 と続きます

 おせちは 御覧の通り スーパーで最低限の品揃え
 総入れ歯になってしまったので お餅は食べられません

 勤務はなくなったので 最低限の賀詞交歓会のみ
 
 今年も 良き歳となりますように




-----------------------------------------------------


 1月2日 恒例の赤坂日枝神社参拝を済ませました

 一年の無事を感謝し 新しいお札を頂戴して来ました





























 今年の絵馬は 数か少なくなっているように感じました
 昨年の絵馬より少し小さめの今年の絵馬は
 
 一目見たときに 此れが眼に飛び込んできて
 勿論 色で選びました

 普通なら 白いものを選ぶのでしょうが
 私は 無類の青好き
 これ以外にない...












 12年前の絵馬と並べて

 次の犬歳の絵馬を戴ける自信が余りありません
 一年一年を大切に過ごします
















----------------------------------------------


 今年は 企業人引退の年となりました
 45年余 節目の年 年末にPCがクラッシュし修復に想像以上の苦労をしました
 IT企業に勤務していたのは20年以上前のこと 
 昭和60年代にパソコン通信に挑戦して以来 ある程度先端技術に追い付いていたのですが
 Twitter スマートフォン辺りから脱落 新しい波に乗ることは出来なくなりました
 会社HPを立ち上げるための試行として始めたHPも 今では更新が面倒になり
 中身の耐震工事が必要になりました

 時間は充分ありますが 中々仕事ははかどりません

 今年も諸兄には お世話になりました
 善き一年でした

  平成29年12月31日

-------------------------------


 平成29年12月に 自宅PCの内蔵ディスクがクラッシュして 大混乱
 PCを買い替え 修復に大汗をかきました
 すっかり慢心していて バックアップも取っておらず 未だクラウドファイルはアクセス出来ておりません
 10日ほどで 漸く ほゞ修復を完了致しました
 昔のように PCを自在に操ることが出来なくなりました IT徘徊を続けます




 埼玉県新座市平林寺の紅葉です

 もみじの写真は とても難しい
 中々 鮮やかな光景が切り取れません

 もみじを撮るなら 逆光で撮ると良いと
 解説書で読むことが多いのですが...
 
 その昔 黄色が尊い色として好まれた平安期
 もみじは 黄色く変わった葉が もてはやされた様です

 色々 試みてはみましたが 
 素人には中々自分の眼が美しいと感じた光景を再現するのは
 難しく 出来上がった写真を見ては ため息をつきます








 今回は周囲が逆光の光の中で 輝く順光を受けた処を切り取ってみました


































 



















 愛用してきた一眼レフ PENTAXが レンズもボディも 故障がちで
 暫く悩みましたが 遂にNikonに乗り換えました

 ボディーはシャッターが勝手に落ちてしまう
 レンズは ズーミングの途中で引っ掛かり動かなくなってしまう

 そして 前期高齢者には重さが耐えられなくなり リュックに入れて持ち歩くのを
 躊躇う様になってしまった

 6月に退職して 漸く年金が振り込まれ始め 少し気が大きくなったこともあります



























 愛機に敬意を表して 新規機種の
 一枚目は 旧機の記念撮影
 長い間 お疲れ様でした
















 年に二度 上京して来る広島の友人Kさんが 赤坂迎賓館の見学予約をしてくれました



 この地は江戸時代 紀州徳川家江戸屋敷跡 
 明治6年宮城火災から明治21年明治宮殿完成まで 明治天皇仮御所が置かれています
 明治42年 鹿鳴館を設計したお雇い外国人建築家ジョサイア・コンドルの弟子 片山東熊が設計したネオ・バロック洋式
 外観が余りにも華美過ぎ住居としての使い勝手も余り良くなかったため皇太子嘉仁親王(大正天皇)は殆どこの御所を使用していません

 大正天皇即位後 赤坂離宮 皇太子裕仁親王(昭和天皇)の東宮御所となり 戦後 国立国会図書館 裁判官弾劾裁判所 内閣憲法調査会
 東京オリンピック組織委員会などに使用され 1962年(昭和37年)池田隼人首相の発案で 当時迎賓館として使われていた旧朝香宮邸
(現在の東京庭園美術館)に替わる迎賓館として使用されることとなる 5年の歳月 108億円の改修費により 昭和49年完成

 京都にも迎賓館があり 共に内閣府の管轄となっています

 地図で見ると 赤坂御用地の北辺に 北向きに建てられています














 正面からの展望 確かに豪華絢爛です

 正面入り口から地下に降りた処に喫茶室があり トリコロールが運営を担当していたことがあると 大先輩から教えて頂いたことがあります






















 裏庭から南面を眺めます

























 南庭の噴水
























 噴水の中の彫像は 日本橋の橋柱に置かれたものによく似た印象を持ちます







































 平成29年6月26日 勤務先の株主総会の終結を以て 監査役を退任します

 昭和47年4月1日 日本ユニバック株式会社入社から 44年6か月 企業人生活に一つのピリオドを打ちます

 愈々 年金生活の開始です

 仕事第一の企業人間 会社に帰る家に行く 24時間仕事中心の生活から漸く卒業です 

 ある方から「仕事に代わる 何かがおありですか?」と聞かれ 真面には答えられませんでした

 50代後半から 先達諸先輩から色々ご教示を得ましたが 心躍るようなことは未だ思い浮かびません
 根が無精の神様のような人間です ボケずに老後を全うしたいものです

 HP ブログも 仕事にかまけて 手抜きを続けてきましたが ボケ防止を兼ねて 取り組みたいと思っております

----------------------------------------